アル中ニートから教員になって10年

「酒のない人生」をはじめる方法 (アルコール依存症〈回復ノート〉 (1))

1 名無しさん@おーぷん Ypg

なんとなく気づいてたらなってたのでその軌跡を書く

2 名無しさん@おーぷん Ypg

独り言だからほっといてくれて構いません

3 名無しさん@おーぷん ID:4hV

スレタイだけで泣ける

6 名無しさん@おーぷん Ypg

おれは就職氷河期に大学を卒業した40代近い男だ。高校を出て、一浪して東京のたいしたことない大学に入るまではまあ普通の人生だった。そんなに苦労もしないで育った。

元スレ(おーぷん2ちゃんねる): http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1431098968/
アル中ニートから教員になって10年

8 名無しさん@おーぷん Ypg

大学生活も、途中まで順調だった。東京という街に慣れることはなかったけど、サークルの仲間もできてそれなりに楽しくやってた。

10 名無しさん@おーぷん Ypg

二年生まで俺はフル出席フル単で過ごす優秀な学生だった。しかし、就職活動が始まると、一気に崩れていった。

12 名無しさん@おーぷん Ypg

高校までの学校には、聞けば答えてくれる先生がいる。大学受験には、予備校がある。大学の単位取得には、友達がいる。おれは、何か道標がなければ動けない人間だった。
そんなおれにとって、就職活動のように自分で調べて手続きして足を運ぶ作業は辛くて仕方がなかった。なにより、就職活動にはおれがさぼっても叱ったり励ましたりする奴はいなかった。
みな、自分のことで精一杯。当たり前のことだ。

14 名無しさん@おーぷん Ypg

初めて、世の中のレールから外れていく不安を打ち消すために酒を飲んだ。最初は寝酒に一本のビール、すぐに酩酊するまで飲み、半年も経たないうちに寝てる、というか気絶しているとき以外常に泥酔している生活になった。

15 名無しさん@おーぷん Ypg

そのころ、コンビニで24時間コーラより安い酒が手に入るようになった。
節約を兼ねた趣味、のはずが、酒が人生そのものになった。4リットル入りの焼酎やウイスキーを買って、飲み、抱いて寝た。
大学にはほとんど行かなくなったが、3年の前期までの頑張りでなんとか卒業した。
しかし、3年後期と4年の一年で冗談じゃなく友人を全て失った。
何があったかは察してくれ。

16 名無しさん@おーぷん Ypg

なんとか軌跡的に卒業したが、就職は無理だった。就職氷河期とか言ったけど、どんな好景気でもおれに就職は無理だったろう。
酒を飲みながら100社くらいにエントリーシートを送り、半分は面接まで行ったが、真っ先に落とされた。
全入のブラック企業を受けてたら人生変わったのかも知れないが、ただの一つも内定が出ずに大学生活は終わった。卒業式の日、おれはスーツを着たまま大学にたどり着けずに通学電車の中で何本も缶チューハイの空き缶を転がしながらすやすやと眠っていた。

17 名無しさん@おーぷん ID:ybY

状況はどうあれ、100社にエントリーシートを送るのはすごい

18 名無しさん@おーぷん Ypg

そして、一年がすぎる。正直、この一年のことはほとんど覚えていない。東京の外れのアパートから、酒と最低限の食事を買うスーパーに週に一度くらい外出するだけで、ずっとふとんの中で窓の外を見ながら酒を飲んでいた。
正直、いまだに当時の生活の夢を見るが、そこそこ幸せだったと思う。

19 名無しさん@おーぷん RJO

幸せというのは間違っていたかもしれない。
人生のリモコンがあって、その早送りボタンをギューっと押しているような一年だった。
酒を飲んで、人生の山も谷も全て平坦に地ならしして、とにかく一日が早く終わるのを待っていた。
死ぬのを待っていたのかもしれない。「アルコール依存症は緩慢な自殺」と言われるが、まさにその通りだった。

20 名無しさん@おーぷん RJO

そんな生活を始めて一年、とうとうやってきた。親だ。
アポなし(もしかしたらあったのかもしれないが、外の世界との接触を絶っていたのでわからない)でやってきた両親は、
死体のように白く、まだらに黒ずんだ俺と、そこらじゅうに汚物のころがった部屋を見て、涙を流した。
俺は実家に強制連行された。助かった。

21 名無しさん@おーぷん RJO

数ヶ月、俺は治療を受けた。
ゲロ吐きながら、泣きながらでも飲むしかなかった酒を、親の叱責と意思の命令でやめられた。簡単に、ではなかったが、えらい人に言われたことならやらざるを得ないのだ。自分らしい。

22 名無しさん@おーぷん RJO

γGTPは4桁を記録していたが、さすがに体は20代だったので大きな病気をすることはなかった。梅雨がすぎた初夏、俺は自分の置かれた状況を少しずつ理解できるくらい正気を取り戻していた。

23 名無しさん@おーぷん RJO

両親は何も言わない。ただ自分は、正気を取り戻したと同時に焦る。
自分のような人間がこの世で居場所を確保して、生きていけるのだろうか。
焦って、不安で、何もできなくて、夜眠れなくて暴れた。
布団に入って、眠りに吸い込まれる瞬間、火山の噴火のように体が爆発する。
不安の爆破だ。そうすると、もうその晩はまったく眠ることができない。
腹が立って、自分の頭をゲンコツで殴りまくった。泣きながら。
それでも、ちっとも眠ることができない。
結局、俺は酒を買うことにした。
しかし、前と違って、自分自身への不安と対話しながらの酩酊だ。
酒を美味く感じるわけも無い。ただ気絶するために飲んだ。
母親が、買ってきたその日に料理酒をおれに飲まれてしまった時はさみしそうだった。料理酒はとても飲めないほどしょっぱい。

24 名無しさん@おーぷん RJO

気がついたら、冬だった。
しかも、両親に保護された冬ではなかった。
信じられないかもしれないが、再飲酒を初めてからまた一年、記憶が飛んでいる。
目覚めたら、病院のベッドの上だった。

25 名無しさん@おーぷん RJO

またも、病院。こんどは入院だ。
どうやら、おれは泥酔して外に出て、どこかで転んで頭を打って、その後足を骨折したらしい。詳しいことを聞く気力もなく、うやむやにすることにした。

26 名無しさん@おーぷん RJO

いちおう、骨折を治すために入院ということらしいが、両親が俺を外に出したくないのはよくわかった。
だって、どう考えても入院するほどの怪我じゃないんだもん。

27 名無しさん@おーぷん RJO

ぜんぜん教員になる気配も無いのに一人で盛り上がって書き込みすぎた。
読んでくれている人はいるのでしょうか。

28 名無しさん@おーぷん ID:9hc

いるよー

29 名無しさん@おーぷん RJO

>>28
ごめんね。
なるべく早く展開したい。

30 名無しさん@おーぷん RJO

少しはしょるんだけど、その病院で俺は再度アルコールを抜くことに成功した。
もう二度と酒を飲みたくない、と思えるようになった。
その原因は二つある。
一つは、「酒はストレスを解消する物ではなくて、ストレスを先送りするもの。今日先送りしたストレスは明日二倍になってやってくる。」と気づいて、明日から千日分以上の先送りしたストレスに立ち向かう決心がついたこと。
もう一つは、同室だった明らかなアルコールに人生を支配されて数十年過ごしたおじいさんが死ぬ瞬間を見てしまったこと
、だった。

31 名無しさん@おーぷん RJO

病室で、俺は恥ずかしながら院内の図書室にあった「就職ガイドブック」みたいな本を読めるようになった。
その本には、様々な職業のなりかたや現状が書いてあった。
しかし、余りにも世間知らずな俺は「職業」と言うものをあまり知らなかった。
あれだけ就職活動をしたのに、どの企業も口先だけの志望動機を述べるだけで業界の仕組みなどなにもわからない。
おれは子供と同じ精神状態のまま、体と知識だけ大きくなった空っぽの人間だった。

32 名無しさん@おーぷん RJO

その本には、様々な職業のなり方が書いてあった。
たしか「広告代理店」の欄には、「世界を股に駆ける最高のビジネス。学歴だけでないあふれ出る人間としての魅力が必須」のようなことが書いてあって、今の自分には完全にファンタジーの世界だった。
「食品工場」の欄には「日本の食卓を支える縁の下の力持ち、収入以上のやりがいを感じられる人に」と書いてあった。それは無理だ、と素直に思えた。

34 名無しさん@おーぷん ID:9hc

>>32
食品工場・・・

33 名無しさん@おーぷん RJO

自分の知っている職業を探すと、「教師」という欄があった。
良く考えたら、俺のうすっぺらい人生で酒を売ってくれる酒屋の店員の次にかかわったのは学校の先生だ.
なんとなく、先生のことならわかる。生徒に勉強教えてればいいんだよな?

37 名無しさん@おーぷん RJO

自分の人生を思い出すと、小学校6年生の頃だけは楽しかった。
本当に自分はラッキーだったと思う。
勉強いまいち、運動最悪でいつも黙っている俺は存在が薄かった。
いじめられていたことに、気づいてくれる教師もいなかった。
5年生の林間学校で、誰もおれと班を組んでくれなくて、半泣きで無理やり入った班でもお味噌扱い。
オリエンテーリングで置いていかれ、寝室ではみんなが楽しく枕投げしている部屋の隅で寝ているふりをした。
そんなおれに、通知表の所見欄で「いつも真面目な態度で物事を行う00さんは、学級の皆に信頼されています」とかクソうわべの定型文を書かれる少年だった。
でも、6年生のときの先生だけは違ったなあ、あの先生のおかげで卒業式に泣けたなあ、と思い出した。

38 名無しさん@おーぷん RJO

いま思えば、6年生のときの先生も俺だけにとってはいい先生で、他の皆にとってどうだったかはわからない。
5年までのときの先生を好きだったっていう同級生もたくさんいる。
なんとなく、おれは自分みたいなお味噌な少年の気持ちをわかってあげられる先生がもっといたらなあ、
おれが、そういう先生になれないかなあ、って思うようになった。

39 名無しさん@おーぷん RJO

話しはしょりすぎた。
6年の時の先生は、勉強の教えかたとかは普通なんだけど、
なんだか(教員の言葉で言う)学級経営がうまい先生で、
強い子も弱い子もパーソナリティをさらけだして安心する学級を作っていて、
おれの趣味とおれをいじめていた奴の趣味を引き合わせて親友にしてくれたり、
今思えば、どんだけ時間かけたんだ?ってことをいつもやってくれてた。
みんながどうだったか知らないが、おれは幸せだった。

40 名無しさん@おーぷん RJO

そんな先生になってみたら面白そうだなあ、って願望が、
「広告代理店の社員」とか「食品工場の工員」より現実的に思えた。

42 名無しさん@おーぷん RJO

でも、おれはたいしたことない大学をアルコール依存症になりながらやっとこさ卒業したニート。
教員免許なんて目指したことも無い。せいぜい、GTOを漫画喫茶で途中まで読んだくらいだ。
だから、自分が教員になれるとは思っていなかった。

44 名無しさん@おーぷん RJO

このへんは、ちょっとはしょる。簡単に言うと、
①教員免許は日本津々浦々の通信大学で取れる
②すでに大学を卒業していると、知らずに教員免許に必要な単位が実は相当数取れてる
③結果、大卒ニートならおおよそ10〜20万くらいで教員免許取れる
④教員免許取ったら続きへGO

46 名無しさん@おーぷん RJO

というわけで、入院生活から一転、某通信大学で二度目の大学生活に突入した。
目的は「教員免許取得」目的が明確なため、死ぬほど勉強した。
死ぬほど充実した日々だった。
30歳近くなって行った教育実習では、ただただ感動した。
おれのようなアル中クズ人間にも、こどもは「先生!遊ぼう!」と言ってくれる。
求められたら応える、事しかできないクズだからアル中ニートになったおれは、
いつもこどもたちから求められることにやりがいを感じた。
自分が求められることって、すごくうれしかった。

47 名無しさん@おーぷん ID:i05

いい話だなー

48 名無しさん@おーぷん RJO

ちなみに、教員になるためには、いくつかのステップが必要だ。
まずは、大卒。これはどこの大学でもいい。とにかく大学を出ていればいい。Fランでも東大でも平等。
次に、教員免許を持っていること。詳しく言うと、小学校の免許と中高の免許でちょっと違うのだが気にしない。
最後に、教員採用試験に受かること、これが最難関だ。

49 名無しさん@おーぷん RJO

教員免許取得までは、どんなアホでも資格を一つ一つ満たしていけば取得できる。
しかし、教員採用試験は漫画のハンター試験のように、数々の教員志望の猛者を蹴散らして勝ち残らなければ突破できない難関なのだ。

50 名無しさん@おーぷん RJO

ここで、教員には常識だけど一般人にはあまり知られていないことを書く。
辛い「教員採用試験」を突破しなくても、教員として働く方法がある。
それは、臨時採用の「講師」として働くことだ。
おおむね、自治体の教育委員会に「講師登録」をすれば、いつか教育委員会からお呼びがかかる。
講師とは臨時の教員で、一見アルバイトのようだが給料は正規の教員よりちょっと落ちる程度(30代で年収500万程度)で
働きたくない時は断れるというメリット?もつく。
おれの知り合いでも、一年働いてカネを貯めて一年バックパッカーをする、という生活を繰り返している教師がいる。

51 名無しさん@おーぷん ID:rL0

>>50
ほうそんなに高いのか

52 名無しさん@おーぷん RJO

そうは言っても、やはり一生働きたい
教員がどんだけクビにならないか、安定した職業かは、ネットで批判していたけど
いざ自分が手に届くとなると羨ましくてしかたない

53 名無しさん@おーぷん ID:8Ud

続きはないんかな?見てるぞ

元スレ(おーぷん2ちゃんねる): http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1431098968/
アル中ニートから教員になって10年

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