昔の日本の面白雑学書いてけ

「県民性」がわかる!おもしろ歴史雑学: だからこうなった!日本全国「お国柄」の謎と不思議 (知的生きかた文庫)

1 名無しさん@おーぷん tOcWDqYpa

明治時代に、相撲が「まわし一丁で取っ組み合いなんて野蛮!」と言われて廃止されかけたことがあった
で、危機感を持った力士達は消防団として働くことで存続を訴えた

4 名無しさん@おーぷん ID:ufRlLJ5nL

黙祷が始まったのは
関東大震災から

5 名無しさん@おーぷん ID:aSeab4YDl

幕末にペリーが上陸した時、電信を披露して日本人を驚かせていたが、ペリーがくる前から佐久間象山が文献のみで電信の実験をしていた

6 名無しさん@おーぷん ID:uBjVxK3z7

14代将軍徳川家茂は31本中30本の歯が虫歯だった

元スレ(おーぷん2ちゃんねる): http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1401416774/
昔の日本の面白雑学書いてけ

3 名無しさん@おーぷん ID:8eRQ2z36r

助産婦が出来損ないをキュッとシメて死産扱いにするっていうのは、復活させていいと思うんだよね。
うちのひいばあちゃんが産婆やってたんだけど、産婆として最初のお産立ち合いで生まれたのが、
今で言うダウン症だったようだ。
ひいばあちゃん、当時20歳、躊躇うことなく先輩に教わった通り〆たそうだよ。
ひいばあちゃんいわく
「生かしといても、畑耕すわけじゃなし、兵隊できるわけじゃなし、読み書きソロバンするわけじゃない。
そういうのは穀潰し言うてな、養うことはなかったんよ」
庶民は大体こうやって死産扱いしたそうだ。
ただ金持ちだとたまに殺さず生かしといて、これがハイパー池沼化、村の娘を襲ったり、
お女中さんが飼い主に監禁されて池沼の性玩具にされたり、ということはあったそうだ。
実際ひいばあちゃんが立ち会ったお産で一番悲惨だったケースが池沼絡み。
戦中のケースだけど、12歳の女の子が池沼にレ*プされ続けて妊娠、
堕胎も出来ずひいばあちゃんが呼ばれて立ち会うも、
女の子は出血と痛みに耐え切れず死ぬわ、何とか取り出した赤ん坊は、一目見て異常な奇形だったので、
その場で処分したそうだ。
この12歳の可哀相な女の子を両親公認でレイ*してたのが、この女の子の5つ年上の実の兄。
ひいばあちゃん、割と温厚な人だったけど、こんときは人生で一番激怒して、
「17年前にワシがこんゴクツブシを〆てやる言うたんを、やめさせたんはおのれら夫婦じゃ!
なぜあのときワシの言う通りにしなかった!今からワシがあの出来損ないを処分しちゃる、それが産婆の責任じゃ!
連れて来い!」
って池沼飼い主を怒鳴り付けたらしい。
まあ結局池沼はその後土蔵に 閉じ込められて、10年くらいで死んだみたいだけど、
ひいばあちゃんは多分このケースのせいで死ぬまで知的障害者全てを忌み嫌ってた。
オレのばーちゃんもオレのかーさんも、ひいばあちゃんに「出来損ない産んだらワシに言え。
始末してやるから安心しろ」言われてたってさ。
でもオレ、ひいばあちゃんは間違ってないと思うんだよな。うちのクラスの池沼♂とかみてると、
こんなん生きてる価値ないだろって思う。

8 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

あばたもえくぼ
天然痘が撲滅するまで 軽度重度の差があれど誰もが痘痕持ちだだった
肌の綺麗な時代劇はすべて偽りである  

9 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

野干玉能 昨夜者令還 今夜左倍 吾乎還莫 路之長手呼
ぬばたまの昨夜(きそ)は還(かへ)しつ今夜(こよひ)さへ吾を還(かへ)すな道し長手を
訳 真っ暗な昨夜は逢ってもくれないで還しましたね。今夜こそは、逢わないと云って
私を追い返さないで、暗い夜の長い道を。

いつの時代も男ってせつないね とういう万葉集の歌

11 名無しさん@おーぷん ID:sRUrQqWQx

江戸時代には内風呂がない家が大多数だった
庶民が暮らした貧乏長屋だけでなく
裕福な町民の屋敷や下級武士の家にも
内風呂がないことが多かった

12 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

寛永御前試合は存在しない 勝海舟の与太話である

13 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

熊谷直実は世を儚んで出家したのではない
所領紛争の幕府の裁判に不公平と憤慨したからである

14 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

仙台藩の荒井加右衛門盛従は町奉行時代「名判官」と謳われた人物である
だが彼の母は裁判を危ういものと辞職をすすめたが、都合もあり実現できなかった
ある時盛従の家で金が無くなった 居間に出入った下僕が疑われたが 下僕は認めなかった
下僕以外に犯人はいないと推定し否認の贖罪に落とそうとした時 母が金を持って現れ
裁判とはこういう危険なものだから辞職しなさいと戒めたため盛従は恥じて辞職した 

15 名無しさん@おーぷん ID:3IVNyBr8z

野口英世は学歴詐称をしてた

16 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

泉鏡花の「婦系図」には電車の中で男が娘の手を握って困らせる場面がある
痴漢は戦前から 電車とセットだった

17 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は反戦詩ではない
日露戦時中の状況を見れば 反戦詩であれば雑誌「明星」に掲載すらされなかった

18 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

首帳の作法
侍が戦場で敵の首をとると それを大将の所へ持って帰る その時 首帳をいう帳面にそれを
付けるのは右筆(ゆうひつ)の役目である 右筆は今で言う秘書である
古い物では「蒙古来襲絵詞」の中に、右筆が胡坐をかいて 首帳を付けている絵がある
首帳には1,2,3番まで番号を付けて、4番首からはいちいち番号をつけない

20 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

首には紙変に首のぬしと 討手の名前を書いて はっきりわかるように髻を結び付けておく
入道首(ハゲ)には髻がないから 何か証拠になるような その首のぬしの持物とか兜とか
を添えておく
名前のわからない場合には討手の名前だけを書いておく 島原のキリシタン一揆には この
名前のわからない首の中から 天草四朗の首が発見されて 相手を知らず討った陣佐衛門と
いう浪人は 一躍2千石の知行取りに出世した 

21 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

二番首が到着するまでは 一番首を記帳しないのが慣例になっていた これは討手に騎馬の
士もあれば馬を持たない徒侍もあるので 一番首を取った徒侍がコツコツ歩いて本陣に戻る
あいだに二番首を取った騎馬の士が馬を飛ばして先に到着する場合があるからだ
一番首二番首というものは 首をとった時の先後できまるものであって 到着の順序をいう
ものではない

22 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

首に付ける書付には一定の法式がある 討たれた者の名は尉を付けず、討った者の名には
反対に尉をつける。例えば首の主の名前が十兵衛なら「十兵衛」とだけ書くが 討手の方
の名前が二右衛門なら 「二右衛門尉」と書くのである 「兵衛」「右衛門」は兵士のこ
とだが これに尉が付くと士官になるから、討手を上位においたわけだ

19 名無しさん@おーぷん ID:NX2RbtDrT

西郷隆盛は飛び込みによるホモ心中未遂の経験がある

23 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

剣豪小説の種本として大正四年に国書刊行会から出版された「武術叢書」が使用された

24 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

吉川英治の「宮本武蔵」には佐々木小次郎が鷹の餌に麻の実をあたえていることを
鈴木哲太郎は嘆いていたが 種本はなんだろう?

25 名無しさん@おーぷん ID:GIFYaOm8N

江戸時代の人がググってそうなこと
吉原 評判
春画 じっぷ
年貢 回避 裏技
生類憐れみ 蚊
目安箱 身バレ
将軍のお膝元 どこ
ござる 古い
都市伝説 印籠 老人
ブケショハット かぶり方
切腹 痛くない
ぺるり  もしかして:ペリー
水戸黄門 見分け方
キリスト教 ばれない

PR)もしかして・・・私の年貢、高すぎ!?

26 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

歌川 広重の東海道五十三次の蒲原宿は豪雪地帯のように描かれているが
レス26の画像1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E5%8E%9F%E5%AE%BF#mediaviewer/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hiroshige_nuit_de_neige_%C3%A0_Kambara.JPG
実はほとんど雪が降らない

27 名無しさん@おーぷん ID:X8zLLYY5r

>>26
蒲原宿の図は「北越雪譜」の蒲原ではないかという説もあるが 出版時期にずれがあるため
否定的だ ただ著者が本を出すため江戸に来ていたこともあり版元の間で知れ渡っていた可
能性もなくはない

29 名無しさん@おーぷん ID:x3LEg0nPW

江戸時代 夏 庶民は暑い甘酒を飲んで涼んだ

30 名無しさん@おーぷん ID:x3LEg0nPW

カキ氷は平安時代には食べられていた

31 名無しさん@おーぷん ID:x3LEg0nPW

江戸時代の蕎麦は蒸し蕎麦

32 名無しさん@おーぷん ID:x3LEg0nPW

佃煮は江戸佃島の人が作ったが彼らはもともと大阪の佃にいた

33 名無しさん@おーぷん ID:qCrrUV2JU

写楽=北斎 の珍説がある

しゃらくさい、あほくさい

34 名無しさん@おーぷん ID:vjULi3liL

山本五十六の名前の由来は父親が五十六歳の時に産まれたから。
五十六は名前の由来を聞かれるのがとても嫌だったらしい。

35 名無しさん@おーぷん ID:1Z4TP9KpK

日本人が土偶やはにわを作ってるとき、エジプト人はピラミッドを造ってた。

卑弥呼が曹操に金印を貰う数十年前にキリストはゴルゴダの丘で張り付けになってた。

43 名無しさん@おーぷん ID:tZlm2SZjU

>>35
奴国の金印と間違えてないか?
邪馬台国の金印 は200年後ぐらいだぞ。

江戸時代初期の江戸の銭湯は、基本的に混浴。

36 名無しさん@おーぷん ID:clK1Q3fSY

幕末、伊予宇和島で蒸気船が生産されたがそれを設計・建造した中心人物は藩の学者でも何でもなく、嘉蔵という城下町の貧乏な提灯張り職人であった

37 名無しさん@おーぷん ID:vseuLLdjk

幕末に江戸幕府の大老となり安政の大獄を行った井伊直弼は32歳までは養子の宛もなく300俵の捨て扶持で一生を終わるものと本人も諦めており埋木舎(うもれぎのや)と名付けた邸宅で世捨て人のように暮らしていた
この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。そのほかにも和歌や鼓、禅、槍術、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していたが、風流に生きる姿から「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名された

元スレ(おーぷん2ちゃんねる): http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1401416774/
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コメント

知ってる人多いだろうけど
昔は濁音、半濁音の表記が無かったから「いがた(鋳型)」も「いかだ(筏)」も大抵は同じ表記
庶民はそれをどう見分けてたかというと、概ねフィーリングで見分けてた

3でドン引きして気分悪くなった
まとめに載せるのかこれを

※1
「源氏」を平仮名で書く時は「けむし」と書いてたとか有名

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